小1/博物館/005:品川歴史館(縄文時代の大森貝塚を訪問)
2016年11月26日(土)、午後。
娘:「このあいだの、ラスコー展は面白かった!旧石器時代のことが少しわかった。こんどは、縄文時代を見てみたい!」
とのことでしたので、「大森貝塚」を選択。
妻:「科学博物館とかにいけば、展示物はたくさんあるんじゃない?」
僕:「いや、それだとつまらない。なるべく、実物を見せたいんだよね。」
妻:「なるほど。」
ということで、「品川歴史館」で貝塚やモース博士について学習。
僕:「縄文時代の土器と、弥生時代の土器。どっちが好き?」
娘:「弥生時代かな。縄文時代の土器は、なんか落としたらすぐに割れちゃいそう。弥生時代の方が堅そうだし、丈夫そうだから。」
歴史館で本などを読んだあと、徒歩で大森貝塚の跡地へ。現在は「大森貝塚遺跡庭園」になっていますが、
妻・僕:「しょ、しょぼい。。。なんだこの無駄な税金の投入は。。。小学生ならばみんなが知っている大森貝塚なのに。」
・・・尚、僕が今日学んだトリビアは以下の通りです。
①モース博士が横浜から東京へ電車で移動中に、工事現場を見て貝塚を発見。つまり、進行方向左側に座っていたと思われる。。これ、右側に座っていたり、本を読んでいたら、発見されていなかった可能性があったと想像。
②僕も貝塚を見たのは初めてだったのですが、つまるところ、地層面に水平に堆積している生活ごみの層。つまり、どう考えても、「塚(=垂直の高さが創造される)」ではありません。なんで「貝塚」と命名されたのか分かりませんでしたが、モース博士が書いた論文のタイトルを見て、なるほどと思いました。
=quote=
MEMOIRS
OF THE
SCIENCE DEPARTMENT.
UNIVERSITY OF TOKYO
VOLUME I. PART I.
SHELL MOUNDS OF OMORI
EDWARD S. MORSE
=unquote=
なるほど、moundなんだ。野球のマウンドがイメージされるかんじか。辞書をみると「塚」とも書いてありますが、高さを感じないものだと思いますので(縄文時代当時も積み上げるというよりは穴に落とすわけだし、5,000年後の今みても高さは無い)、貝塚という翻訳はイメージとは異なる。
③モース博士の脳みそは、米国にて保存されているようです。
・・・そして、
娘:「次は弥生時代を見てみたい!」
妻:「登呂遺跡ってどこにあるの?」
僕:「(調べて)静岡だね。時間できたら、行ってみようぜ。」
★この記事のエントリー時点の状況:
①サピックス:小1最上位クラス、②公文算数:E教材(=小5)、③公文国語:CII教材(=小3後半)、④漢字検定:8級(=小3)を2016年11月6日に受検し12月1日の発表待ち
★ブログ村ランキング:
本ブログは娘と僕の「反省録」ですが、読者の方のお役に立てば嬉しく思います。お帰りの際に↓をクリック頂けると励みになります。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません