小5/博物館/113:石川島人足寄場
2020年4月22日(水)。
昨日のお話。
恒例行事となった夕方サイクリング。
僕:「石川島灯台の跡をサイクリングしよう。ここには、かつて石川島人足寄場があった。」
娘:「ニンヨクヨセバ?なにそれ?」
僕:「日本の刑務所の源流になっている画期的な施設だ。」
娘:「伝馬町座敷牢は刑務所ではないの?」
僕:「あれは、"更生させる"という概念がほぼ無い。他方、人足寄場は"更生させる"意図をもって設計されている点が大きな点だね。」
そして、
僕:「佃島は本能寺の変があったからこそ、できたようなものだ。家康が受けた恩義をどう漁民に恩返ししたのか、その設計思想が垣間見える場所だから、これも理解しておくと面白いと思う。」
訪問後に読んだ資料で娘が学んだことは以下の通り。
・天明の飢饉→無宿者(戸籍から外された人)→江戸に流入。
・10代将軍家治の老中、松平定信(祖父は吉宗)の発案で1790年に石川島人足寄場を設置。
・人足たちには柿色の地に水玉模様の着物を着せて、1年を過ぎるごとに水玉の数を減らす。
・収容期間は3~5年が目安。
・強制労働に対して賃金が支払われ、積み立てて釈放の際に支給して自立させる。
・逃亡者には死罪。
・山本周五郎の「さぶ」が詳しい。
■写真集
★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:サピックス70%、中学入学後30%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語HI/上位45%【2020年3月10日から】
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