小5/博物館/115:レインボーブリッジから観察する第六台場
2020年4月24日(金)。
新型コロナ下での習慣となった、夕方サイクリング。
昨日の出陣先はレインボーブリッジ。
僕:「今、君が読んでいる『長英逃亡』でも幕末の海防について出てくる。では、当時の台場そのものを、外国船を迎え撃つ幕府の視点で観察してみよう。レインボーブリッジを自転車で渡ろう。」
娘:「え?そんなことできるの?」
僕:「可能だ。手押しになるけどね。」
・・・レインボーブリッジを西側から渡り、
娘:「すごーい!これが地理で出てきた東京港だね!」
娘:「この無人島になっているのが第六台場か。。あ!カワウかウミウがコロニー作ってる!木の下がフンで真っ白になっているから場所はあそこだ!」
と大興奮でした。
資料から娘が学んだことは、以下の通り。
・1853年6月にペリーが浦賀に来航。その2か月後に「御台場11基」の建設着工。翌年には3基は竣工。最終的には6基が完成。
・瞬間最大風速の工事人数は、5,000名。総費用は約700億円。
・6基のうち、ほぼ現存しているのは、台場公園になっている第三台場と、無人島になっている第六台場のみ。
・台場工事は、江川英龍の指揮。江川英龍は伊豆の世襲代官。渡辺崋山・高野長英ら尚歯会とも交わり有り。蘭学を嫌い、高野長英を追いやった鳥居耀蔵は、かつて江戸湾の測量を巡って江川英龍と対立して敗れたことあり。よって鳥居は江川とライバル関係。『長英逃亡』の最初にもこの場面が出てくる。
・江川は伊豆に韮山反射炉も設計し、大砲の鋳造にも貢献。
・江川は兵士の携行食としてのパンに注目し、日本で初めてパンを焼いた人間。
■写真集
★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:サピックス70%、中学入学後30%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語HI/上位45%【2020年3月10日から】
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