小5/博物館/117:「明暦の大火」(回向院)と「関東大震災」(被服廠跡)

娘の博物館等の訪問


2020年4月25日(土)。

 

昨日の夕方サイクリング。

 

僕:「さて、吉良邸の後は、1657年明暦の大火と1923年関東大震災での教訓を学ぼう。諸説あるので正確な数字は分からないのだが、明暦の大火と関東大震災では、それぞれ約10万人が火災で亡くなった。明暦の大火の後、大量の焼死体が回向院に埋葬、、、というか穴を掘って埋められた。また、関東大震災での被服廠跡では10万人のうちの1/3がここで命を落としている。共に、火災旋風が発生した可能性が高いとされる。」

 

娘:「カサイセンプウ?」

 

僕:「火災により急激な上昇気流が発生し、炎の竜巻が発生するんだよ。高さ数百メートルで、秒速100mを超えるとか。」

 

娘:「え~!」

 

僕:「関東大震災では、火災旋風が隅田川を渡り、被服廠跡に逃げ込んだ人を吹き飛ばした、という。小塚原では罪人が一人一人処刑されていったわけだが、これが江戸の治安維持のために必要だった社会的コストだとしても、所詮は1,000名/yearの速度だ。しかし、明暦の大火と関東大震災では100,000名/dayの速度だ。死の濃さが100 x 365倍だね。それほどまでに、火災の破壊力はすさまじい。吉村昭が、『関東大震災』を書いてるから、読むといいね。」

 

・・・娘が資料で学んだことは以下の通り。

 

(1)明暦の大火

・明暦の大火は、1657年3月(旧暦では1月)。概ね、3箇所の火元。

・北西の季節風により類焼ルートは、北西から南東へ。

・当時、消防制度は不備。装置と技術、ともに後年の江戸町火消のレベルに無かった。

・明暦の大火以後、幕府は車に荷物を積んで逃げることを禁止。また、町人は財産保護のために穴倉(地下室)を設けるようになった。

・死者は諸説あるが、4~10万人程度。

・通称の「振袖火事」は創作の可能性が高い。

・江戸三大大火は、明暦の大火、明和の大火、文化の大火だが、筆頭格が明暦の大火。

・明暦の大火を契機に、軍事都市である江戸を脱却する、都市改造が実施された。火除地、広小路の設計。

・伝馬町牢屋敷の切り放しを初めて実施。しかし、これにより市民2万人が死亡。

・江戸城天守閣も全焼したこともあり、これを機に、大奥の髪型が変化(安土桃山時代の垂髪から、結うようになった)。

・4代将軍家綱(さようせい様)の命により、回向院が設立。小塚原刑場の回向院は、ここの分院。

 

(2)被服廠跡

・関東大震災の約10万人の死者のうち、1/3がここで発生。

・被服廠とは、陸軍の軍服工場。

 

■写真集

 

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Posted by senki