小6/博物館/200:河村瑞賢屋敷跡

娘の博物館等の訪問

2021年4月25日(日)。

 

記念すべき200か所目の「博物館」です。

 

娘が、河村瑞賢の歴史小説である『江戸を造った男』(伊藤潤/朝日文庫)を読み始めたこともあり、サイクリングを兼ねて訪問してきました。現在では永代通りに面した場所です。案内板の文章を記念に残しておきます。

 

ここに住んでいたんですね!

 

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河村瑞賢(かわむらずいけん)屋敷跡

 

所在地 新川1丁目8番地域

 

江戸時代 この地域には幕府の御用商人として活躍していた河村瑞賢(1618~1699)の屋敷がありました。 瑞賢(瑞軒・随見とも書く)は 伊勢国の農家に生まれ江戸に出て材木商人となりました。明暦3年(1657)の江戸大火の際には木曽の木材を買い占めて財をなし、その後も幕府や諸大名の土木建築を請負い莫大な資産を築きました。またその財力を基に海運や治水など多くの事業を行いました。

 

瑞賢の業績の中でもとくに重要なのは奥州や出羽の幕領米を江戸へ廻漕する廻米航路を開拓して輸送経費・期間の削減に成功したことや、淀川をはじめとする諸川を修治して畿内の治水に尽力したことがあげられます。晩年にはその功績により旗本に列せられました。

 

斎藤月岑(さいとうげつしん ※戦記注:案内板には「さとうげっしん」とあるが)の『武江年表』によると 瑞賢は貞享年間(1684~1688)頃に南新堀1丁目(当該地域)に移り住み、屋敷は瓦葺の土蔵造りで塩町(現在の新川1丁目23番地域)に入る南角から霊岸島半丁一円を占めていたと記されています。表門は今の永代通りに、裏門はかって新川1丁目7番・9番付近を流れていた新川に面し、日本橋川の河岸には土蔵4棟があり広壮な屋敷を構えていたようです。

 

『御府内沿革図書』延宝年間(1673~1681)の霊岸島地図を見ると、瑞賢が開削したとされる堀割に新川が流れ、その事業の一端を知ることができます。

 

平成15年3月

 

中央区教育委員会

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Posted by senki