高1/Twitterの記録:「高1娘は学校主催のボストン研修(2026年3月)に出願する」
2025年10月13日(月)。【2026年2月9日(月)記録】
高1娘は学校主催のボストン研修(2026年3月)に出願する。今回で5回目となる本プログラムへの参加は2022年中学受験志望校選択の理由の一つであり、娘は準備として英検1級を取得した。今朝、僕が珈琲を飲みながら八ヶ岳を眺めていたら娘からLINEがあったので電話した。
「確認してくれ、とのことだけど、僕は確認はしないよ。君のエッセイのオーナーは、君だから。自分で決めてくれ。僕が書いたらめちゃくちゃ有利になるだろうけど、そうやって合格しても偽りの合格だからな」
「失礼しました。確認というより、議論したい」
「議論ならば付き合うよ。さて、エッセイを読んだ。審査官に伝えたい内容は理解したけど、そもそも目的と手段を間違えていないかい?HarvardとMITの学生と交流したり議論することは、目的なのか、それとも手段なのか?」
「もちろん、手段だよ」
「そうならば、何故に、その目的を明示しない?」
「たしかに。。」
「前にも君の他のエッセイで議論したことがあったけど、手段には君の価値観や魂はさほど織り込まれないのさ。そして手段を語るエッセイは薄っぺらいものになる。君の価値観は1mmも織り込まれていないからね。
大事なのは、目的なんだよ。
なぜ、それをやるのか?
なぜ、今なのか?
目的には、その人間の価値観が織り込まれる。何の為にやるのか?これこそが人間の本質なんだよ」
「たしかに。だとすると、私がHarvardやMITの学生と議論したり、Bostonの高校生と交流したい目的は[xx]だね」
「ほら、それを書かなくちゃ!」
「文章全体を読んだら通じるかなと思ったけど?」
「その考えは甘いな。審査官は大抵忙しい。読んで退屈な文章は読まれないと思った方が良い。自分が手段として取りたい行動、そしてその目的、ここまで書ければまあ審査材料を満たすのだが、更に信念まで織り込むのが理想的だな。
例えば、
“私は[xx]を目的にHarvardの学生と議論したいが、それは私には[xx]の信念があるからである”
という構成になる」
「なるほど」
「まあ、今回はそこまで暑苦しく書く必要はないと思うけど、信念無きエッセイはゴミだと思った方がいいよ。尚、信念は直接書くと陳腐化するから、行間に織り込むという方法もある。
例えば、
“私は几帳面な人間です”
と書くと陳腐化するが、
“私は帰宅したら必ず自分の革靴をブラッシングしています。今日という一日を見せてくれた靴への感謝であり、明日という一日への備えだからです”
だと几帳面という言葉を使わずとも通じるよな」
「確かに。。ありがとう!」
「僕との議論が参考になったならば、嬉しく思う。繰り返すが、自分の言葉を紙にぶつけなさい」
「うん!そうする!」
以上で電話を終えて、冷めた珈琲を飲みながら朝靄に浮かぶ八ヶ岳をぼんやり眺めた。
僕の子育てもそろそろ終わりつつあるようだ。
以上
★現時点の立ち位置:
①公文:数英国最終教材修了(中2/2024年3月)
②英検:1級合格(高1/2025年7月)









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