小3/公文:暇な低学年(小1~3)のうちに公文で数学基礎を鍛錬する意味
2018年10月26日(金)。
算数の話。
娘は塾の授業中にほぼ全てを理解して帰宅するので、自宅にて僕が教えることは殆どない状態が続いています。1週間を通して使っている時間を考えると、土日には公文数学を6枚/dayやる必要があることもあり、現学年算数よりも、公文数学に割いている時間の方が長い、または同じくらいなのではないかと考えます。
公文算数・数学の単調なプリントを、
娘:「(少しずつやる分には)面白い。」
と評価する娘が少し変なのかもしれませんが、娘自身も、数学の本質が「論理」であり、公文はその「処理」(=操作、というべきか)を扱うということに、気が付き始めたように思います。
最近、
娘:「(自分で間違いを見つけて)うん、これはおかしい。間違いだね。」
と呟くことが増えてきました。公文数学は基礎的な論理処理の鍛錬をする場、と位置付けるならば、やっぱり、中学受験算数における土台に繋がるのではないかなあ、と改めて思います。受験算数においても、xとyを使わないだけで、連立方程式の概念は使うわけですし。
・・・ただ、小3の10月時点でここまで進めてきたから言えることですが、
「公文数学G以後を進めること not= 中学受験に直接役立つ知識を獲得する」
だと思います。四則計算だけならば、ドリルとかでもいいですしね。
ただ、以下も真実っぽい。
「公文数学G以後を進めること = 土台となる論理展開力を鍛える = 間接的に中学受験算数に寄与する」
公文は、土台を鍛えているのではなかろうか。たとえば、新しく「√」とか「2次方程式」という概念を教室にて初見で学ぶ、という訓練は、言い換えれば「新しい論理概念を学ぶ」ということ。この訓練を積み重ねることで、中学受験算数で展開される初見の項目も、
「ああ、そういうことね。」
ということで塾での滞在時間中で解決してくるようになるイメージ。
小3の10月時点での仮説であり、1年後に全く違うことを僕が言っているかもしれませんが、暇な小1~3のうちに、公文数学(と国語)をやっておいて良かったなあ、と思います。公文をやっていなかったら、今頃どうなっていたのでしょう?全く想像ができません。
★現時点の立ち位置:
・低学年最後の年なので、公文を進める。
①公文数学:I教材(=中3)/上位0.5%【2018年8月31日から】
②公文国語:HII教材(=中2後半)/上位1.0%【2018年10月19日から】
③思考算数:きらめき算数脳3年【2018年7月31日から再開】
④漢字:3年生を総復習(漢検・Z会・学研)【2018年6月15日から】
★ブログ村ランキング:
本ブログは娘と僕の「反省録」ですが、読者の方のお役に立てば嬉しく思います。お帰りの際に↓をクリック頂けると励みになります。

ディスカッション
コメント一覧
いつも大変参考にさせていただいております。
桜蔭戦記さんの公文数学と国語に対しての評価に同感です。論理展開力は年齢とともに自然と向上しますので中学生になった時点でくもん中学教材に取り組むのは容易に感じると思います。それに対して低学年の段階でその時点で自分の持っている力を最大限利用して中学以降の数学に立ち向かうことで論理力が養われるように感じます。あたかもローギアのまま高速走行を課すようなもので作業効率は悪い(負荷も大きい)ですが、地力(エンジン)が鍛えられているように感じます。その論理力は、くもん未経験の親の目から見ると年齢とともに自然に得られるものとは別のもののように見えます。
子供の論理力を鍛える方法はほかにもあると思いますが、大学受験がとりあえずの最終的な目標(人生はそのあとも続きますが)と考えるなら、くもんを選ぶのは悪くない選択かなと自分の子供を見ていて思います。
うちは英語もしていますが、まだくもん英語の良さが国語、数学に比べて実感できません。
>kobayoshiさん
記事にさせて頂きます。