小6/歴史:「歴旅」さんとのコラボ (8) 2019年開成中学校社会より 上野編⑧
2021年10月8日(金)。
「歴旅-中学受験難関校へのぶらり旅-」さんに娘向けの家庭教師としてコンテンツを製作頂き、それを2022年組に開放するプロジェクトです。みんなで歴史に強くなりましょう!
しばらく前に歴旅さんと話をしてコンセプトを決めましたが、「学力の上限が存在しない開成・桜蔭・渋幕の合否を分ける社会の1問に特化」した形で分析頂くことにしています。
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■2019年開成中学校社会
西郷隆盛の銅像の背後には彰義隊士の墓があります。幕末に15大将軍徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に逃げ帰り、上野の寛永寺に謹慎したため、旧幕府を支持する者たちが、彰義隊を名乗って上野に集まりました。江戸無血開城が決まり、徳川慶喜が水戸に移っても彰義隊は解散せず、新政府軍に抵抗しましたが、壊滅しました。彰義隊士達の遺体はしばらく放置されましたが、やがて見かねた人が火葬し、墓を作ったそうです。
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=quote=
幕末のすべての事始め、会津藩は望んでいないのに京都守護職に任命されます。これって本当はひどい話なんです。
戦国時代から江戸幕府ができたときに、京都以西のにらみを利かすポジションは彦根藩なんです。彦根城の城門は西を向いています。戦国武将西の雄、毛利家に対するにらみを利かすためです。地理的にも彦根の布陣は京都を守るためでもあります。
大老井伊直弼(いいなおすけ)も幕政の中心で幕末に出てくるのですが、本来親藩であり、且つ西の守り担当のはずなのに、いろいろ言い訳をして会津藩の祖法を引っ張り出してくるわけです。「徳川宗家に何かあった時は会津が出てくるのが|保科正之≪ほしなまさゆき≫公からの藩命でしょう」と。
いやいや、彦根藩のお役目、忘れたんですか?と言いたい笑
京都警護の優先順位、どう考えても彦根藩。
単純に遠い。なんで東北から京都に行くの?東京から東北だって遠いのに京都なんてマジ大変。当時は徒歩ですよ。彦根から京都なんてめちゃくちゃ近い。現代においては「京都・滋賀」というエリアのくくりですよ。すぐ近くなのにさぼった。まあ、1860年井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されているので、ビビってしまったというのが実態でしょう。
サムライならば不忠である!と言いたいところですが、井伊家は江戸時代に入ってもいろいろあったお家で、策謀で乗り切ったのだと思います。
=unquote=
娘は小3の5月(=2018年5月)に彦根城を訪問しています。新小5の3月にビワイチを達成した際にも訪問していますね。
城門の位置まで考えて見学していませんが、調べてみたら、たしかに大手門が西を向いています。むむむ。これはどういう理由だろうか。彦根城のすぐ西は琵琶湖なんですよね。交通の要所を押さえる、という意味においては南に大手門を設けた方が良いようにも思いました。しかし、敵は西にいるのだという意識醸成があるのかもしれませんね。
★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:中学受験90%、中学入学後10%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語KI/上位5%【2021年8月6日から】








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