小6/記事レビュー:「中学受験の「つるかめ算」で見える開成と麻布の教育の違い【受験現場からの眼!】」

2021年04月(小6)

2021年4月22日(木)。

 

中学受験ブロガー界でフルボッコになっている記事であり、妻から勧められたので読んでみました。

 

・中学受験の「つるかめ算」で見える開成と麻布の教育の違い【受験現場からの眼!】

 

また、中学受験界の歴史に残る伝説的暴走記事が誕生しましたね。「タワマン上層階の子」もなかなか面白い記事でしたが、これと同じですね。中学受験業界で専門家を語っている商売の方は、視野が狭かったりしますので注意が必要です。僕が好きなのは、冷徹なビジネスパーソンの視点で断罪するブロガーさん。

 

僕も、独自の視点でうっかりレビューしてみます。記事にはツッコミポイントは多いのですが、専門家であるはずの筆者が、算数という科目の本質を理解していないことに一番驚きました。

 

=quote=

その意味でつるかめ算や旅人算といった算数は、中学受験で“選別”のためだけの特殊な算数であり、現実的に中学以降の数学につながらないし、不要だとする意見も多い。

=unquote=

 

娘が経験してきた小1から小6の4月までの中学受験プロセスを観察した結果、中学算数の本質は「純粋に論理的な学問分野」(論理的課題解決)という一言で定義が可能だと考えます。論理的に考えることそのものが大事なのですが、そのアプローチはたくさんあるのですよ。そして、その手数が多ければ多いほど、論理的に考える攻め筋が増えることになります。押して駄目ならば、引いてみろ、ってやつですね。特殊算のように類型化されたアプローチでも良いし、代数のようなアプローチでも良いわけです。筆者は、キッズBee・ジュニア算数オリンピック・算数オリンピックの問題を見たことがあるのでしょうかね。たぶん、見たことが無いのでは?

 

尚、この"教育専門家"だって、今の僕みたいにワインでも飲みながらうっかり記事を書いてしまったのかもしれません。誰でも間違いはしますので、僕は気にしません。

 

しかし、僕が一番残念なのは、筆者が「近世に入ってからの和算家の努力」を評価していない(か、純粋に知らない???)ことです。中学受験のプロセスにおいて、それこそ中学受験生は小1からその時点で「持てる論理ツール」を駆使して算数に挑み、成長していくからです。このプロセスは、欧州発の代数表記法を知らない江戸時代の和算家達が、苦心して算数分野を開拓してきたプロセスに似ていると思うのですよね。特殊算か代数か、という視野の狭い話ではないと考えます。

 

僕が筆者にお勧めしたい本があります。ぜひ、『江戸の数学教科書』(桜井進/集英社インターナショナル)を読んでください。もう絶版のようなのですが、小1-5の保護者の方は読んでおくことをお勧めします。序文を紹介させて頂きます。

 

=quote=

p.3

 

おそらく当時の多くの子供たちが、同じような努力をして数学を学ぼうとしたのだろう。私は、そこまでして彼らを数学へと駆り立てたものが何だったのか知りたいと思った。

 

その答えの一端を見つけたと思ったのは、関孝和の第一の後継者である建部賢弘の著書『不休綴術』の中に、次のような言葉を見つけたときだった。

 

「算数の心に従うときは泰し、従わざるときは苦しむ」

 

古今東西いまだかつて「算数の心」といった数学者を私は建部以外に知らない。だが、これこそが数学に対する日本人の感覚を見事に言い表しているように思えたのである。

 

「算数の心」とは、数の世界を生きている存在ーだからそこには心があるーととらえたことを意味する。その世界にある調和の調べに建部の心は共鳴した。そのこと自体が建部にとって大切な発見であったのだ。

 

そして、このときから、私は建部をはじめとする和算家や江戸時代の人々が追求した数学は「数学道」だったのではないかと考えるようになった。

=unquote=

 

 

 

 

★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:中学受験90%、中学入学後10%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語JII/上位6%【2021年4月9日から】

 

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Posted by senki