小6/歴史:「歴旅」さんとのコラボ (9) 平成29年桜蔭中学校社会より お茶の歴史 ④

2021年10月(小6)

2021年10月26日(火)。

 

 

歴旅-中学受験難関校へのぶらり旅-」さんに娘向けの家庭教師としてコンテンツを製作頂き、それを2022年組に開放するプロジェクトです。みんなで歴史に強くなりましょう!

 

しばらく前に歴旅さんと話をしてコンセプトを決めましたが、「学力の上限が存在しない開成・桜蔭・渋幕の合否を分ける社会の1問に特化」した形で分析頂くことにしています。

 

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日本で一番古い喫茶に関する記述は、平安時代初期の僧侶が嵯峨天皇にふるまったというものです。茶は中国から伝わりましたが、当初日本では僧侶や貴族などごくわずかな人たちにしか知られていませんでした。鎌倉時代には、禅宗の僧侶栄西が記した日本発の茶の専門書『喫茶養生記』が、三代将軍源実朝に献上されました。日本最古の茶園が作られたのもこの頃だといわれています。鎌倉時代には禅宗の寺院で喫茶の習慣が広がり、社交場として武士階級にも好まれるようになっていきました。

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「お茶」だけだと単なる飲み物ですが、関連して裾野産業が広がっています。

先に触れた茶器。陶器、磁器などは当時珍しかった。天目茶碗など現代でも古美術など芸術品として扱われています。歴史的なものなら億の値段が付き、現代的なものでも棗が40万円、などで売っています。

あれあれ?そうすると朝鮮出兵で西国の大名が朝鮮から陶工を連れてきた意味も分かりますね。すごい陶磁器を作れば、超高級品として売れる。これを狙っていたのではないでしょうか。中国の陶磁器ももともと海外で珍重されていました。トルコ(当時オスマン・トルコ帝国)のトプカプ宮殿に行くと、中国の陶器とともに江戸時代の伊万里焼が並んでいます。高級材の作成と輸出に成功しています。(利益を得たのは仲介したオランダ商人かもしれませんが。。)

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僕も古伊万里を楽しんでいますが(「小5/社会:1740年のVOC輸出伊万里でカレーを食べる」)、最初から輸出産業をつくることが目的だった、というのはあり得ると思いますね。

 

 

 

 

★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:中学受験90%、中学入学後10%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語KI/上位5%【2021年8月6日から】

 

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Posted by senki