小5/歴史小説/004:『ポーツマスの旗』(吉村昭)
2020年5月6日(水・祝)。
娘が小3の時の記事。去年の2月ですね。
=quote=
2019年2月11日(月・祝)。
・・・『ポーツマスの旗』(吉村昭)を、小5くらいに面白がって読めるようになっていると、歴史は強くなると思います。たぶん(笑)。
=unquote=
計画通り、小5になって吉村昭を読んでいますね。
改めて、僕も『ポーツマスの旗』を読み直しました。娘とのディスカッション用に、ポイントをメモしておきます。
・日の丸の国旗を日本国の船印にすべし、と幕府に提案したのは島津斉彬。
・小村寿太郎は日向国飫肥藩(おびはん)というマイナー藩出身。家が貧乏。7歳で藩校に入学し、15歳で首席卒業。藩主の命で、長崎で英語を学ぶ。維新後、第1回文部省留学生としてハーバード大学に派遣。弁護士資格を取得し、弁護士事務所で経験を積んだのちに、明治13年に26歳で帰国。司法省へ。しかし、仕事では成果無し。
・父親が事業に失敗し、多額の借金を背負う。
・小村は17歳の町子と結婚。結婚理由は、その美貌と明治女学校卒の高等教育を受けたこと。しかし、町子は生活力が全くなく、その後小村は悲惨な家庭生活を送ることになる。
=quote=
小村は、家庭の空気に耐えきれず芸者遊びにふけった。居つづけすることもあって、待合から(外務省に)出勤することも稀ではなかった。かれの遊興は省内でも話題になっていたが、家庭の事情からやむを得ないと同情する者も多かった。
町子は外泊する小村に嫉妬をいだき、しばしば尋常さを欠いた行為をとった。待合の女が月末に請求書を持ってくると、町子は、女性の陰部の名称を口にし、そのようなものに夫が接した代金は払えぬ、と叫んで追い帰す。
さらに、町子は小村が常時使用する車夫に、遊里へ送った折には必ず自分に告げることを厳命した。
=unquote=
・小村の転機は、北京公使館に代理公使として赴任したこと。小村の才能が発揮され、「機で綿密な情報報告と的確な予測」を陸奥宗光が高く評価。日清戦争中も、山形有朋から高い評価。外務省の要職である政務局長になる大抜擢。
・日英同盟締結の功により、男爵に。
・・・と前段があり、あとはポーツマス条約のネゴの状況が詳細に説明されています。娘が理解すべきポイントは以下の通り。
・当時、アメリカ上流階級は、ロシア貴族との交流が盛ん。これもあり、ルーズベルトが講和条約の仲介を申し出た。ルーズベルトの真の目的は、急成長する日本の軍事力への牽制。特に、アメリカ領であるフィリピンの安全確保。
・日本の暗号表が大使館から駄々洩れしており、筒抜けの状態で日露戦争を開始してしまった。よって、講和会議用の暗号表を作るところからスタートした。
・ルーズルベルトは当初はワシントンを講和条約の場所としたが、ポーツマスに変更。理由は、北方のポーツマスは避暑地なので涼しいから。
・当時の日本の外務省の人脈、情報収集・分析能力は、今から見ると信じられないくらい高いことが分かります。何しろ、ホワイトハウスでルーズベルトと1on1で対面し、金庫の中に隠されているロシア皇帝からの手紙を秘密裏に見せてもらえるレベルですから。
・小村はプロマネとして優秀な交渉チームを作成。ロシア全権ウィッテとギリギリの交渉をし、破断寸前でまとめ上げた。交渉の最後の切り札になったのは、日露戦争の終結直前に樺太を占拠しておいたこと。
・当時、国民は日露戦争における日本の疲弊を知らされておらず、これが故に、「抑留艦艇引渡し、ロシア極東海軍力制限、賠償金支払いの三要求を放棄し、さらに樺太北部もロシアへ返還したという報に、激昂した」。これが、日比谷焼討事件となる。
・・・尚、p.155に大陸横断鉄道でサンフランシスコからニューヨークへ向かう小村一行が、"日本人労働者"と会うシーンがあります。小村が涙をこらえるシーンなのですが、僕の眼がしらが熱くなりました。僕個人としては、この小説の一番のハイライトのシーンだと思います。
国家とは何か。民族とは何か。
娘が、新興国家である明治日本が苦難を経て成長する雰囲気も含め、いろいろ考えるきっかけになることを期待します。
★現時点の立ち位置:
・資源配分比率:サピックス70%、中学入学後30%
①公文:数学K20・国語K100で冬眠【2020年1月から】
②公文:英語HI/上位45%【2020年3月10日から】





ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません