中2/博物館/224~232:新緑の京都(下鴨神社流鏑馬神事、他)

娘の博物館等の訪問

2023年5月4日(木・祝)。

 

今年のGW前半戦は好天。ということで、新緑の京都を取材してきました。メインイベントは下鴨神社の鏑流馬神事。

 

 

 

 

ぶらぶらと寄り道もしましたが、博物館の観点から以下を記録に残します。

 

 

・224:渡月橋

新緑の渡月橋は圧巻。京都市内よりも風が強く、涼しかったのが印象的。橋梁というインフラである以上コンクリート製になるのは仕方が無いが、当時の雰囲気を残してくれていることに感謝。

 

 

 

 

 

 

 

・225:天龍寺(世界文化遺産)

娘もサピックスで習ったそうな。パンフレットの説明は「1339年(暦応二)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師(むそうこくし)を開山として創建」。娘曰く、「祟りが怖かったんだと思う、とサピックスの先生は説明していた」。夢窓国師による庭園である曹源池は1994年に世界文化遺産に登録。「そうだ 京都、いこう。」の写真でも有名である。

 

 

 

 

 

 

 

 

・226:妙心寺

花園駅からてくてくと歩き、妙心寺。創立者は花園天皇。日本最大の禅寺。臨済宗妙心寺派の大本山。敷地が広大すぎて、途方にくれました。面白かったのは、明智光秀の叔父である塔頭・大嶺院の密宗和尚が、光秀の菩提を弔うために創建したといわれる「明智風呂」。

 

 

 

 

 

 

 

・227:阿じろ(妙心寺御用達の精進料理店)

京都の伝統的な精進料理を経験すべく、阿じろを選択。部屋に通されて、来訪者の写真を見て、これは博物館だなと気が付く。精進料理について理解を深めるべく、フルコースである「妙心」を選択。仲居さんとの会話も含めて、理解が深まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・228:元離宮二条城(世界遺産)

京都は何度も訪問しているが、未訪問だった二条城。二の丸御殿(国宝)はよくぞ残してくれたと感動。中学受験のサピックス生時代に訪問すべきだったな、と軽く後悔。徳川家康はこの場所で幕府を開き、徳川慶喜は同じ場所で大政奉還をした、ということを解説で知りました(前者については僕も知らなかった)。だとすると、徳川慶喜は象徴的な場所を選択したこととなり、理解が深まりました。尚、狩野派の障壁画を見るために「二条城障壁画 展示収蔵館」も訪問。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・229:鴨川納涼床

「ブラタモリ」で貴船の川床(かわどこ)と鴨川の納涼床(のうりょうゆか。略して、ゆか)について学んだので、実践。生きた博物館だと思うので記録。尚、先斗町のお店を選択したが入口の看板には「川床あります」と記載。Twitterでこれは間違いであることが判明し、勉強になりました。つまり、川床(かわゆか)という読み方は少なくとも存在しない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・番外編:鉄緑会京都校

これにて、鉄緑会については、代々木本校、梅田大阪校、京都校を訪問。灘西宮校を残すのみとなった。

 

 

 

 

 

 

 

・230:南禅寺(国宝方丈)

5月3日(水・祝)は南禅寺からスタート。三門は藤堂高虎の寄進で、上ると徳川家康と藤堂高虎の像がある(撮影禁止)。三門は石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな。」で有名だが、当時は三門は存在しなかった、、、ということを知ってしまいました。とはいえ、京都盆地の新緑を見下ろすロケーションが絶景であることには間違いない。琵琶湖疎水の「水路閣」は日本人技師だけで設計施工した水道橋だが、現在でも上部には琵琶湖の水が流れているので勉強になる。問題は、なぜこの立地に建築されたのかは、南禅寺の地形を観察すると理解できます。ショートカットなのですよね。国宝である方丈もじっくりと研究させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・番外編:東山中学校・高等学校

日本で最も古い私学の一つ。

 

 

 

 

 

・231:平安神宮

鳥居の前は何度も通過したことがあるが、訪問するのは初めて。平安京の雰囲気が分かりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・232:下鴨神社(流鏑馬神事)

友和堂のジェラートで涼んだ後は、下鴨神社での流鏑馬神事。大変混雑していましたが、流鏑馬の神事としての格式と魅力を堪能できました。僕も人生で初めての流鏑馬だったので大興奮。これはもう、全サピックス生に対して推奨できますね。

 

尚、小笠原流についてのパンフレットを頂き、全部拝読しましたが、実に興味深い内容でした。「江戸から明治になったときの宗家、二十八代清務は小笠原流の流儀を教えることで生計を立てることを禁じました。生活のために流儀を教えると、弟子を増やそうと無理や妥協が生じると考えてのことでした」。娘の学校でも礼法は小笠原流とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Posted by senki